essay

10周年に寄せて(1)

田辺あゆみ

10年前の2016年、ariがスタートした。

この10年は不思議な10年だった。
途中、コロナに翻弄され、今までのあたりまえはあたりまえではなくなり、タイが遠くに感じることもあった。
そして今こうして再びタイに足を運べることが、心の底からうれしい。

ariは服を作るほぼ全ての工程をタイのバンコクで行っている。

日本での作業といえばデザインと、そのデザインを形にしてもらうパタンナーさんとの打ち合わせ。

紙に描いた自分の理想の形が、パタンナーさんの手によって平面から立体へと変わっていく過程には、毎回とても新鮮で、感動する。

わたしはそのパターンを手に、バンコクへと向かう。

生地から洋服へと形にしてくれるのは、バンコクに住む縫い子さんたち。

わたしがやり取りを交わす "縫い子リーダー" のピミアオさんには、ariの立ち上げ時からずっとお世話になっている。

海外で物作りをする人には想像がつくと思うが、日本では当然だろうという常識は、日本から出た途端に何も通用しなくなってしまう。

日本の物作りの正確さは、ちょっと異常なくらいに素晴らしいと思う。

だからといって他が駄目ということではなく、違う土地で違う生活を送ってきたわたしたちの 「あたりまえ」は、ある意味ちがって当然だ。

物を作っていく中でお互いに歩み寄って理解して、感覚を擦り合わせていく、という関係をこの10年積み上げてきた。

今なお、積み上げている最中でもある。

わたしがタイに滞在している限られた時間や、遠隔でのやり取りを要所要所でサポートしてくれるありがたい存在もいる。

そして、こんな独自のやり方に付き合い続けてくれているピミアオさんには感謝しかないし、10年間(特に初期)を振り返ってみると、じんわりと胸に込み上げるものがある。

気づけばわたしたちは一歩一歩、でも着実に成長している!と言えるだろう。

生地やパーツは、物や人で溢れかえるバンコクの市場をひたすら歩き回り、自分で探している。

この時間はとても苦しく、とても楽しい。

とにかく暑くて空気の悪い中を掻き分けて進むと、その先にステキな生地やパーツが待っている。罰ゲームとご褒美が一気にやってくるような時間。

なかなかハードなので、何日にも分けて市場に通う。

ariの服に使用している生地は主にタイシルクで、タイシルクと出会わなければわたしがariを始めることはなかったと思う。

初めてタイを訪れたのは16歳のとき。

来たことがないのに懐かしく、タイ語の響きや街の騒音すらも心地よくて、すっかり魅了されてしまった。

それから幾度となくタイに通った。

当時のわたしのパスポートは、タイのスタンプで埋め尽くされる中に、フランス、アメリカなどのスタンプがちらほら、というなんとも風変わりな状態だった。

いつだってわたしのお気に入りの国ナンバーワンはタイだった。

その後、結婚や出産を機に、しばらくのタイお預け期間がやってくる。

そして今から14年ほど前、わたしのタイ通いの
第二章が始まった。

次回へ続く

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